はじめに|どのような場合に問題となるか
営業損害の算定が検討されるケースは多岐にわたります。
たとえば、交通事故により事業の休止や中断を余儀なくされた場合、テナントの立ち退きを求められた際の営業補償が問題となる場合等です。
営業損害を請求する場合、まずは、本来であれば得られたにもかかわらず、事故等が原因で得られなかった売上高全額を、損害賠償として請求できるか検討することとなるでしょう。
この点、現在の裁判実実務では、失われた売上高全額がそのまま損害と認められることはありません。
しかしながら、実際は、被請求側の事件ですと、売上差額全額を請求されることはままあります。
一方で、請求側においては、所得額をベースにした極端に低い金額しか認めないと反論されることもあります。
このように、営業損害については、その算定方法に関し、実務上も混乱が見られているような印象を受けます。
本記事では、裁判実務における損害算定の基本である
『限界利益説』について、実際の判例の傾向を踏まえ、弁護士の視点から整理します。
1.なぜ「売上=損害」ではないのか
よくある誤解|売上高説
実務上は、弁護士が代理人として関与し作成した通知書であっても
休業期間中に得られるはずであった売上高をそのまま損害額として請求している例が見受けられます
しかし、現在、裁判所がこのような売上高の差額を損害とする見解を採用するかといえば、そうではありません。
理由|損益相殺の必要
裁判所が上記見解を採用しない理由は、損害賠償法理における損益相殺の考え方が前提にあります。
不法行為や債務不履行によって損害が生じたとしても、
同一の原因事実によって支出しなくて済んだ利益が発生した場合には、
その利益は損害額から差し引かなければならないとされています
たとえば、営業を停止すれば、
・商品の仕入費
・商品の運送費
・販売手数料
といった売上げに紐づく変動費は、支出を免れるため、発生しません。
したがって、このような変動費は、損害算定の基礎から除外されます。
そのため、損益相殺により控除すべき変動費を控除せずに、失われた売上全額を損害として請求しても、裁判所から認められる可能性は高くないでしょう。
2.逆に低すぎる?「純利益説」が否定される理由
被請求側が主張しがちな純利益説
一方で、被請求側(特に交通事故における損害保険会社などが典型です)は、次のように反論してくることがあります。
・実際に得られたはずの利益は、売上から経費を控除した所得金額(純利益)だけである
・したがって損害賠償額は、この所得金額(純利益相当額)に限られる
これがいわゆる純利益説です。
問題点|固定費が考慮されていない
従来の裁判例では、純利益説を採用するものもありましたが、純利益説によると賠償額が低くなり権利者救済の観点から問題があること、控除対象となる経費に侵害行為と無関係な費用が含まれていることなどから現在では批判を受けています。
現在の裁判所は、このような純利益説は採用していません。
判例の判断
たとえば、平成21年6月16日東京地裁判決(フランチャイズ契約事件)では、
「店舗閉鎖によって支出不要となった固定費を除き、固定費は控除すべきではない」
と判示し、支出不要となった固定費(節約可能固定費)以外の固定費については控除すべきでないとして、被告側の主張する純利益説を明確に退けています。
なお、店舗閉鎖により支出不要となった固定費を損害の基礎から控除することは、次で述べる限界利益説からは当然と言えます。
3.裁判所が採用する見解|限界利益説とは何か
限界利益説の考え方
現在の裁判所が実務上採用している見解のが限界利益説です。
この見解は、損害額について、
売上高から変動費のみを差し引いた金額
として算定します。
得られるはずであったのに得られなった売上が損害となるという出発点から、休業したことで利益となった部分は損益相殺で調整するという発想です。
損害賠償制度は、いわゆる焼け太りを許すものではないため、売上が減少することで支出の必要がなくなった経費(変動費)についてまで、損害に含めることは公平の観点から認められません。
したがって、売上の増減と紐づく変動費を損害算定の基礎から控除することとなります。
この方法によると、
・売上が減少したことで支払わずに済んだ変動費は控除され
・売上の増減とは無関係に支払い続ける固定費の原資は確保される
という合理的な結果になります。
限界利益を認めた主な裁判例
近年は裁判例でも、この考え方が一貫して採用されています。
・東京高裁 平成28年5月18日判決
紹介手数料未払事件において、売上高から変動費を控除した限界利益を営業損害と認定。季節変動も考慮。
・東京地裁 平成26年2月27日判決
住宅販売代理店契約違反事件で、発注金額相当額から変動費を控除した限界利益を逸失利益と認定。
・東京地裁 平成25年11月20日判決
マンション漏水により営業できなかった事案で、売上総利益から支出を免れた変動費のみを控除。
実務では、どの費目が変動費に該当するかが最大の争点となるケースが多く見られます。
4.「赤い本」の記述と誤解されやすい考え方
交通事故賠償の実務書として広く知られる
民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準(いわゆる「赤い本」)には、
固定費は損害として認められるといった趣旨の記載があります。
これを根拠に、
「損害額 = 純利益 + 固定費」
という考え方をする主張も見られますが、固定費=損害と捉えているのであれば、この理解はやや不正確です。
固定費=積極損害ではない
裁判所の考え方は、
・売上の喪失という損
・変動費が不要になった益
を相殺した残額、すなわち限界利益を損害とみるものです。
固定費そのものが独立した損害項目になるわけではないため、休業中に支出した固定費を積極損害と考えることにはなりません。
たとえば、事故により通院を余儀なくされ支払った治療費は、事故が原因で支出したものですから事故による積極損害となりますが、自営業者の負担する賃料や従業員給与は、事故の有無とは無関係に支払う支出ですから、これが事故による積極損害たりえないことは、容易に理解できるかと思います。
あくまでも、売上の差額が損害であるという出発点があり、そこから損益相殺を考慮する中で、変動費が控除される一方、固定費は控除されない費用となる点に注意が必要です。
まとめ|損害賠償請求で失敗しないために
損害賠償請求において、単に売上が減ったと主張するだけでは、営業損害として認められることはありません。
1.売上高説(請求側からよくある主張)
損益相殺を無視しており、裁判では認められない。
2.純利益説(被請求側からよくある主張)
控除すべきでない経費(固定費)を控除しており、不当に低額となる。
3.限界利益説(裁判所の基準)
売上高から変動費を控除した金額を基礎としており、近年の裁判例で採用されている見解。
正当な損害賠償を獲得するためには、会計資料を精査し、どの費目が変動費で、どの費目が固定費かを区分したうえで、限界利益を丁寧に立証していくことが重要となりますが、この立証が最もハードルの高い要素であり、弁護士によっても差が出てくるところでしょう。
